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ジャックのこと

4年前の早朝6時、ジャックが死んでた。

日曜日だったあの日、中学校のアンコンに行こうと起きたら、
傍に一緒に寝ていたジャックが死んでた。


前日、マイコプラズマ肺炎で入院していた娘が退院して(友人たちは「おねえちゃんが退院するの待ってたんだね」と言ってくれた)、くろプラとジャックと同じ部屋に
寝ていて…今でもくろプラはジャックをみて発した自分の声を憶えている。

「みーちゃん、ジャックが死んじゃったー。」

あの時の自分の声が耳に焼き付いて離れない。

娘は泣き崩れたくろプラの代わりに夫を呼びに行った。


ジャックは、2歳7ヶ月の頃脳腫瘍だと思う、と診断された。

2歳1ヶ月の頃から足に異常が出て、2歳5ヶ月で初めててんかん発作を起こした。

原因不明の中、最初のお医者は「長生き出来ないから生きてるうちに可愛がって」と。

絶望の中でジャックを抱きながら「死ぬまで大事にします。体が弱くてもジャックがうちにきて嬉しい。ジャックが来たことに感謝の心でいっぱいです。」と泣きながら
叫ぶくろプラの言葉を黙って聞いてくれた先生。

セカンドオピニオンのつもりで訪れた病院で脳腫瘍かも、
と言われ、詳しい検査をどうするか、との選択。

もう、検査に耐えられるような状態じゃないことは素人でもわかる程に弱っていたジャック。

娘も、ほんとに治らないと言われるために危ない検査をするよりは、
このままのジャックと過ごそう、と。

幸いなことに人間の脳腫瘍のように頭痛などの症状はなく、怠い、体が動かないとかだけで、
てんかん発作の時は意識がないらしい。

ただ、脚の方から麻痺してきてるから、最後は呼吸困難になるから、その時に考えようとのこと。

その時2歳8ヶ月。

セカンドオピニオンのつもりだった病院にお世話になる事に決めた。

「先生、まだ2歳です。せめて、3歳までは生きて欲しい」と訴えるくろプラに
だめ元で鍼も打って下さり、毎日補液と鍼に通った。

ジャックは4月1日の3歳の誕生日を迎え生きた。

それから、体の麻痺が前脚にもきて棒のようになり、当然ずっと前から歩くことも出来ず、
ご飯は3度注射器で食べさせ、排泄は搾り方を教わり、くろプラが搾った。

「ジャック」と呼ぶと「にゃん」といい、眼圧が高くなり瞳孔が開きっ放しの目で、
くろプラをじっと見つめてきた。

何を要求してるのかわかった気がしてた。

無言で会話が出来た。

とても充実した数ヶ月だったけど、呼吸困難の年末年始を越えた時、
奇跡が起こるような気がして「先生、もしかして4歳になれるかな?」
と言うと、「4歳までは…」と首を振られた。

その間、夫はくろプラに何度も言った。
「良いのかよ?こんな風に頑張らせて」

くろプラは泣きながら「先生はいいって言ったもん。先生も頑張ってね、って言うもん」と言った。

呼吸困難になったら考えようと言われていた、たぶん安楽死。

実際、呼吸困難になってもジャックは意識があり、誰も安楽死の話は出さない。

家で、食事の後とか体力使った後には酸素を吸わせ、身勝手だったかも…と今は思うけど、あの時は必死でジャックの命にしがみついてた。

1月27日朝、うっすらと目を開けたジャックの呼吸は止まっていて、それでも体は温かく、
最初に呼吸困難に陥った時に蘇生させたようにしようと、
「ジャックン!ジャックン!」と胸の辺りを叩こうとしたら娘が
「もうやめよう。ジャック頑張った。頑張った。」と止めた。

色んなことを忘れるくろプラだけど、あの日のことはよく憶えている。

ジャックを動物霊園に預けてからは、悲しみしか憶えていない。

我慢しても、何をしてもジャックを思い出し泣いた。

あんまり泣くとジャックが心配して天国に行けないよ、と言われても
「今日が最後にするから」と、毎日最後最後といい、涙が流れた。

それが、4年前のこと。

猫の脳腫瘍は珍しくないらしいが、「最初の猫がこの病気ってのは、辛いね。
重いのよ」と動物病院の先生が言った。

どうしても頭から離れないジャックの「にゃん」という返事と壮絶な闘病。

くろプラは、あの時泣き過ぎて鼻の奥が炎症起こし、匂いに鈍感になった。

大切で大切で仕方ない猫だった。
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by kuro-pula | 2012-01-28 19:04

昔話

今の学生と昔の学生、比べることが出来ない、
いや、比べるわけにはいかないか…

先日の同窓会で昔の貧乏話&苦笑いの話、色々。

くろプラが学生の頃は、当たり前だったのか、特別だったのか。

お金を持ってる学生は多くはなかった、と思う。

それは、親元を離れ、下宿やアパートで暮らしている人が多く…
ってか、くろプラん家は娘を自宅から八王子市にある学校に
通わせていたから現状わからず、なんだよね034.gif

だもんで、今昔を語るなんて知ったかぶりはしないよん。


とにかく、部員は仲が良かったね。

くろプラは入学してすぐボランティアサークルに入ったのよ。

高校までの部活は夏休みがなく、正直休みたいとか、遊びたい
とか帰省したい、っていうことで頭がいっぱい。

それで、同じ高校から来た友人と近所の子どもたちを集めて遊んだり、勉強を教えたりの
ボランティアサークルに入ったのよ。

それなりに充実して楽しく、日曜日には事情があり親と暮らせない子どもたちがいる
養護施設にボランティアに行き。

そこで、頭に叩き込まれた寮母さんの言葉を・・・

「くるなら毎週来てください。気まぐれでくるのは困ります。子どもたちは、また来てくれるのを
待っているんです。」

くろプラはどんなボランティア活動をするときも、いつも頭の中にこの言葉を掲げています。

そのときの思いつきや気分で動くことのないように、と。
(何度か行ってるディケアが頓挫してるのが気がかり・・・参加者が2人だったから中止にしてしまった。次回はこのようなときは一人でも紙芝居をやる覚悟だっ。夫婦漫談でもできりゃいいけど・・ね)

ボランティアサークルをやめたのは、卒業したらガンガンそのような仕事をするために、
やはり好きな吹奏楽をやろう!と思い6月に入部し養護施設通いと掛け持ちしました。

夏休みが欲しかったので、新入生を呼び込みしている先輩にコンクール状況を聞いたところ
「弱くてすぐ負けちゃうから、夏休みはたっぷりあるよ」ということ。

・・・入ればね・・・がんばっちゃうけどね[#IMAGE|S3

養護施設は、吹奏楽部のM君も加わり、M君はそのまま施設ボラのリーダーになり吹奏楽部を退部。

くろプラは逆に部の行事企画などを受け持ち、2年のときは定期演奏会のパンフ作成に携わり、
寝る暇もなく先輩にもまれて、ボランティアはM君に任せたよ。

吹奏楽部の一員としては何も残していないけど、2年のときのポスターとパンフは予算が少ないので
ポスターは、くろプラが高校の美術の時間に教わったシルクスクリーンで全て手作り。

パンフは、これもくろプラが美術の時間に教わった方法で手書きで印刷屋に持ち込み作ってもらった。

前まで、大学吹奏楽部のホームページに定演のパンフが載ってて、くろプラ手書きの表紙があったけど、懐かしかった。

ポスターは途中あまりにも難しくて自分で作りますって言わなきゃ良かった、と思ったけど後戻りが
不可能だった。

泣きたかったよ。

このブログをのぞきに来てくれてる今市のS井!手伝ってくれてありがとう!

他にも手伝ってくれた人いたよね?

この前の同窓会に当時のくろプラたちが作った名簿を持ってきてくれた人いたけど、
今はPCがあるから楽チンだけど、昔はみんな手書きだったよね。

たかが名簿だけど、盛りだくさんで、よくやってたなぁと。

表紙の部のマーク付きの名簿は数年引き継がれたらしい。

裏表紙のラッパのマークは・・・当時付き合ってた彼氏がTPパートだからか?と先輩にからかわれた
けど、断じて違います。

ラッパの絵が一番簡単なんです。
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by kuro-pula | 2012-01-22 17:21

1月27日

もうすぐ1月27日がやってくる。

4年前のその日、ジャックが3歳9ヶ月で死んだ。

息子が小学5年生の時、生後1ヶ月半の子猫をもらってきた。

当時くろプラは猫が大嫌いで、それでも夫と息子が乗り気で、仕方なく築地方面にいやいや貰いに
行ったわけで。

ジャックという名は、ロックがいいという娘とジャッキーがいいという息子がぎゃーぎゃー始めたので、夫が「合わせてジャックにしよう」といい、それで決まり。

そんなのどっちでもいいじゃん・・・その程度のくろプラだったけど、
貰ってきて4日目、初めて留守番をしたジャックがパートから帰ったくろプラを
「にゃん」といいちょこちょこ走ってきて「おかえり、おかえり」とスリスリされて、やられた。

それから、くろプラとジャックの愛の軌跡が・・・

2歳でてんかん発作を繰り返し、どうも脳腫瘍らしい、と。

糞尿垂れ流し、泡をふいて動き回るジャックを不安な気持ちがいっぱいで、それでも不憫で
いとおしくて・・・
だめだ、まだ泣けてしまう。

まだ書けない。

1年闘病した。

ずっと、幸せにするから、生まれ変わってもうちに来てね、と言い聞かせて・・・

毎晩、抱きしめて寝てたのに、死んだ
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by kuro-pula | 2012-01-22 16:50

やられた

くろプラの布団におしっこする子がいる007.gif

だれだ??

ハイジはするんだよ。

ちっちゃな子猫のハイジを拾ってきてすぐ、交通事故による大怪我のために
ひと月入院。

病院ではタオルがおトイレらしく、タオル類はトイレと認識してたみたいなんだけど
日ごろ留守が多く、在宅が一番多い息子に猫の躾はできなくて(自分の身の回りもアッタマにきてる)、そのつど布団に乗らないように見張ったりしてたけど、今日のはハイジじゃないんじゃ
ないかな?

くろのはわかる。

男の子だし、量が・・・

ハイジかもなんだけど、量がね・・・

でも、プララはこの手の失敗は考えられないんだよね。

ビニール食って吐くのは毎度のこと。

誰だ?

エタノールとペット用ファブ〇ーズでなんとか。

年末にくろにやられて、敷き掛けを大型コインランドリーで洗って乾かして丸一日かかった。

もう今回は無理008.gif

くろほど広範囲じゃないから、と我慢。

暖かい季節がきたら、コインランドリーに持ち込むことにしよう。

ニャンコ飼ってる人、いいアドバイスください
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by kuro-pula | 2012-01-22 16:29

父の指輪

年末年始に山形から母が来ていて。

一人じゃ淋しいと言うので、夫が呼んでくれた。

母と二人で年末の買い物の途中喫茶店でお茶を飲んだ。

その時、母がくろプラに自分が死んだら
「この指輪をお前にもらって欲しい」と田舎臭いデザインの
指輪をうっとりとした目をしながら見せてくれた。

アクセサリー類をあまり身につけないくろプラは
「いらね、こんなの」と即答。

母はどうしてももらって欲しい、とその指輪の
ことを話し出した。

母は18歳で父の元に嫁いできたのだが、
見合い話がまとまって直ぐに、街の時計屋さんに連れて行かれて
その指輪を買ってもらったらしい。

当時は、その片田舎では婚約したからといって
そんなロマンチックなことをする男は多くはなく、
隣近所では母だけがもらったらしい。

母の母、つまりくろプラのばあちゃんは自分の娘が
そのような優しい男の元に縁談が決まり指輪を
もらったことが自慢で吹聴して歩いたらしい。

確かに、なかなかイイコトをする父だった。

でも、おまけも聞いた。

指輪を買うのに、格好がひどかったらしい。

父は婚約指輪を買うのに、股引を履いて迎えにき、
さらに「誕生石がオススメです。」と言われたけど、
いかんせん、母は4月生まれ。

誕生石はダイヤモンドである。

22歳の農家の跡取りはそんな金はない。

母の左手薬指で鈍く光る指輪は、いつかくろプラの
物になる。

ありがたく、いただこう
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by kuro-pula | 2012-01-19 22:25

被災地に向けて思う

今日は阪神大震災から17年目。

あの時は青森市に住んでて、数日前には八戸(だったかな?)
震源の地震で食器棚が倒れてメチャクチャになったのです。

八戸ではパチンコ屋さんが倒壊して亡くなった方もいて。

その後、◯◯日毎に地震が起きるとどこそこの占い師が言ってるという噂が
広まり、実際〇〇毎に起きて、くろプラは二人の子どもとタンスがある部屋から
リビングに寝床を移したんです。

夫はそんなくろプラを鼻で笑い。

寝床を移した翌日早朝、テレビには信じられない光景が
映し出され、鼻で笑っていた夫も何とも言えない表情でした。

額から血を流し「やっと這い出てきました」とインタビューに応えるおばあさんをみて泣いて、
言葉に詰まるレポーターをみて泣いて。

そんな中、当時小学3年生だった娘のクラスでは物資を集め出しました。

言い出しっぺはクラスのガキ大将。

クラスが一丸となって物資を集めたようでした。

あれも持って行け、これも持って行け、と持たせましたが、くろプラは赤ちゃんの洋服中心に持たせました。

息子の洋服です。

2、3日して 、これから生まれる弟にと娘が選んだ靴下も提供してしまったことに気づいたのです。

年の離れた弟の誕生を楽しみに選んだ靴下でした。

娘に別の物と取り替えてくるように言うと、
「ママ、レオ君みたいな赤ちゃんは足が寒いと思うから、いいんだよ」
と。

我が子ながら心が震えました。

3年生の子どもたちに心が震えました。



今日昼、ラジオで支援についてのリスナーの言葉が紹介されていました。

飲食店経営の男性の投稿でした。

割り箸購入の一部が義援金になる箸をお店で使っているそうです。

わずかな金額にしかならないかも知れないけれど、無理せず、長い目で支援したいから
「ボクでもできることを」と。

復興にはまだまだかかります。

degipochさん、言葉に出していないけど、東北の血が流れている者としていつも感謝してるよ。

友達も兄ちゃんも東北に住んでいる。


東北の冬は痛い。

コップに牛乳と砂糖と卵を入れると庭でアイスが出来上がるんです(昔は。今も?)

長い目で、いこうとくろプラも思います。
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by kuro-pula | 2012-01-17 22:10

アンコン

アンコン中学の部の開催地、東府中に行ってきたよ。

2カ所で演奏だったから、ウィーンで金8聴いてから、どりーむ
に移動して、打楽器から聴いて管8を待つ。
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金8も管8も良かった。

夕暮れの中発表を待たず、電車内で最近ハマってるアニソンを YouTube で観ながら聴きながら
各駅停車で新宿に向かった。

結構時間かかるので、昔のアニソンを色々みちゃった。

サスケ、ハクション大魔王、ウルトラマンシリーズ、ジャングル大帝などなど。

大学入りたての頃、ほんの少しボランティア活動サークルに入り
近隣の子ども達と遊んだりしてた関係でウルトラマンシリーズは、ちと詳しい。

オープニング曲はウルトラマンレオまで歌える。

ジャングル大帝も良いよね~

小学4年の音楽の教科書に『ジャングル大帝を聴こう』
という項目があった。

浮かない顔の息子を思い出す。

白い獅子の名前が息子と同じだから、クラスのお友達に冷やかされたみたい。

どうしてこんな名前付けたの?と聞かれたことあったけど、どうしてこんな弱っちいの?
と聞きたいよ。

親がわが子の人生で初めてプレゼントするのが名前って聞いたことがある。

おじいちゃんがつけようと、偉い先生がつけようと、人生最初の親からのプレゼント。

息子よ、お前のその名前のおかげで、ほんの小さな頃からみんなに親しまれて呼ばれたんだよ。

小学校低学年だった姉ちゃんの友達にも、呼ばれたんだよ。

強くなれ、とか 立派になれなんて重荷はかけないよ。

お前の人生大切に。

でも、こんなこともあったな。

東京で生まれ、青森盛岡と転勤し、東京に戻った5歳のころ、世の中映画『タイタニック』ブーム。

レオナルド・デカプリオが「レオ様レオ様」と呼ばれてて、当然引っ越してきた社宅で息子も
「レオ様レオ様」と呼ばれ・・・自分が何様かわからなくなったみたいで・・・

息子よ、お前はただのお子様だった。


板橋駅に帰り着くと、降りた電車が大騒ぎ。

痴漢犯逮捕の瞬間に遭遇してしまった。

あんなことはしちゃあいけないよ~自分を大切にしなよ~と思う。
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by kuro-pula | 2012-01-16 10:52

同窓会盛り上がり

いい同窓会でした。

28年ぶりに会う人もいて。

待ち合わせ場所として池袋西口マック前を指定したんだけど、
見る影もなく・・・という人は一人もおらなんだ。

みんな変わりなく、一気にあの頃に戻りましたよ。

意外だったのはHもつ君、アカヌケテ渋くなり、でも昔のまま可愛い面影もあり。

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東京在住の人はもちろん、茨城、栃木、福島、宮城、遠くは青森。

結局、くろプラ帰宅は午前1時。



地震時のことは話題に、当然上る。

あのとき、どんなだった、その後どんなだった、とか。

今は普段どおりに生活してるけど、あとでそっとHもつ君にきいてみた。

「震災にこだわる?」

無言で「うん、うん」とうなづいた。

くろプラもすごいこだわってる。

復興なんてまだまだ。

新しい年が明けても、東北の血が流れてる。

こだわる。


後輩の一人のご主人が仕事の関係で、仙台でキャンピングカー生活らしく、
停電の中、自家発電で動かない自販機を繋いで被災者に使えるようにしていたとか。

感動したよ。

何もない時に天の助けのようだったろうな・・・って。

限りあるガソリンを使わなければならないだろう自家発電機。

そういえば、父の持ち物の自家発電機が農作業小屋にあったな・・・

形見にもらいたいなぁ
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by kuro-pula | 2012-01-12 15:03

南の島から3

この年始は、狐の行列はお休みにしました。

夫は非常に残念がっていたんだけど、山形から母が出てきていて、
母も又とない経験かも・・・と一時は考えたけど、寒いかなぁ、と思いお休みしました。

最近、寒さが身にしみる~

年かぁ?

木枯らし吹く東京だけど、あの南の島はどうだろう?

冬口にはまだ半そででの生活だったようだけど、
きれいな島。

うちのバンドのAIちゃんたちは9月に行ってきたんだよ。

土産話を聞かせてくれる約束、まだかなえてもらっていないなぁ。

これは、南の島に渡った方からもらったもの。
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扇池っていうのかな?

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別にカメラをお仕事としてる方でもないのに、こんなにきれいに撮れる。

ほんとに美しいんだね058.gif

今度、くろプラも携帯のカメラで撮ってもらおう031.gif050.gif047.gif

〇〇カラーフィルムのCMじゃないってか?
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by kuro-pula | 2012-01-06 20:01

長期休みにて

夏休み明けに書いたとおり、息子にくろプラのPCが復活してると知られると、
夜通しカチャカチャやられるので、未だに壊れたことになっている。

ので、載せたい写真がいっぱい!

頂いて了解もらってるのもたくさんあるので、徐々にアップします。

まずは、KYOちゃんから
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これは、仙台の定禅寺通の 光のページェント。

クリスマスイルミネーションの先駆けとして、有名。

津波で電飾が流されたけど、全国から送られたもので何とか開催できた、という
光のページェント。

KYOちゃんは、ご両親が若林区在住ということでもあるんだけど、頻繁に足を運んで
ご両親だけじゃなく、他の方々にも物資を運んでいるんだよ。

ただのお天然ちゃんじゃない。

がんばり屋のお天然ちゃんだ。

ほんとはすごいんだよ。

うちらのバンドのピアニストで、ディケアセンターでの演奏の時は、ピアノはもちろん
リコーダー吹く、グロッケン叩く、なんでもやってくれる頼もしい人。

まっ、くろプラとしてはいつも背中に背負ったリュックを忘れるなよ~と言いたい。

・・・2回ほど忘れたかな?

そのKYOちゃんから
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石巻方面に向かって祈っている、天使。
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by kuro-pula | 2012-01-06 11:57
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仙台の仲間達、みんな元気かな?


by kuro-pula
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